どうも、ガリヴァーです。 今日はすごい抽象的な話をします。 難しいけど大事な話。 例えば、 本を読む、教科書を読むっていうと、 当然目の前に本を持っていて、 そこに書かれている文字を目で追いかけることをイメージしますよね!? でも、昔々文字が無い世界だったらどうでしょう? 文字ができたのは大体紀元前4,000年前。 それより前に生きていた人類は 「読む」ことをしていなかったのか? いやいや、そんなことはないんです。 彼らは文字で書かれていないものを読んでました。 例えば星座。 古代の人たちは、夜の空に浮かぶ星を「読んでいました」。 他には体調。 古代の人たちは、自分の体を「読んでいました」。 「読んだもの」を記録として残すために発明されたのが文字。 何が言いたいかというと、 現代人にとって「読む」っていうと、 本を読むとか資料を読むとかを連想しがちだけど、 元々我々のご先祖さまは「文字で書かれていないものを読んでいた」のです。 もっと言うと「世界を読んでいた」です。 この繰り返し、積み重ねで、人類は発展し、 次第に脳みそが大きくなり、 今の我々が生きているってことにつながります。 てことは、どう言うことか? 我々現代人は、楽してるんですよ〜 普段文字で書かれたものしか読まないでしょ?? 毎日、テレビに映る字幕を読む、 電車の吊り革広告を読む、 携帯で漫画を読む、 上司からのメールを読む etc これしかしないと、脳みそをフルで使ってないんです。 脳みそをフルで使うには? 文字で書かれていないことを「読む」。 文字で書かれていない、目の前にある事象を 「読みましょう」。 「読む」ためには、目の前にある事象について 「これってどういうことだ?」って考える必要あるんですね。 そうすると、脳をフル活用していることになります。 よく、 「書いてなくても分かるだろ〜」とか、 「連絡しなくても感じてよ〜」とかで、 喧嘩したり言い合いになったりしますけど、 それは「頼むよ、読んでくれよ」ってことにもなりますね。 ここにこれが置いてあるってどういうことだ? なんでこの人はこんな服装をしているんだ? どうして朝起きたら喉が渇くんだ? 今自分の心がときめいたのは、可愛い女の子が目の前を通ったからか 文字で書かれていなくても、 読むべきものは日常に溢れています。 少し頭の体操的みたいになっちゃいますが、 こうやって物事を考えると頭が良くなります。 是非是非、事象を読むこと、 自分が生きている世界を読むことをやってみください。 そうしたら頭がめちゃくちゃ良くなるし、 周りの人とは圧倒的な差がつきます。
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